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山下公園・赤い靴はいてた少女像、横浜だけでなく静岡など各地にある意外な理由

更新日: 2020年06月19日 ,
赤い靴はいてた女の子像

赤い靴ときくと横浜をイメージされる方も多いはず。山下公園には『赤い靴はいてた女の子像』があり「あかいくつ」という観光バスもあります。ところが、静岡観光したとき日本平で別の赤い靴の少女像を見つけ、何故かと興味を持ったので詳細を調べてみました。

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赤い靴はいてた女の子像(山下公園)

山下公園

地元の人にも観光客にも人気の山下公園。博物館船として山下公園に停泊している氷川丸付近にはたくさんのカモメがいることでも有名です。

赤い靴はいてた女の子像(山下公園)

海に向かって座っている『赤い靴はいてた女の子像』

そして、山下公園には童謡『赤い靴』にちなんだ少女の銅像があります。脇には歌詞が書かれた碑も。

童謡『赤い靴』とは

『赤い靴』は、1922(大正11)年に、野口雨情(作詞)・本居長世(作曲)で発表された童謡です。

『赤い靴』

作詞:野口雨情
作曲:本居長世

  1. 赤い靴 はいてた 女の子
    異人さんに つれられて 行っちゃった
  2. 横浜の 埠頭から 汽船に乗って
    異人さんに つれられて 行っちゃった
  3. 今では 青い目に なっちゃって
    異人さんの お国に いるんだろう
  4. 赤い靴 見るたび 考える
    異人さんに 逢うたび 考える

また、1978(昭和53)年になって発見された草稿(未発表)には、以下の5番もあったということです。

  1. 生まれた 日本が 恋しくば
    青い海 眺めて いるんだろう 
    異人さんに たのんで 帰って来

横浜のシンボル『赤い靴はいてた女の子像』

童謡『赤い靴』の1番の歌詞だけではわかりませんが、2番の歌詞に「横浜の埠頭から 汽船(ふね)に乗って」と出てくることから、赤い靴の女の子の舞台が横浜であることがわかります。

童謡『赤い靴』の歌詞をモチーフとし、横浜のシンボルとして、1979(昭和54)年11月、山下公園に建てられたのが『赤い靴はいてた女の子像』です。

赤い靴はいてた女の子像(横浜駅)

また、JR横浜駅の自由通路(中央通路)には『赤い靴はいてた女の子像』のミニチュア版が設置されています。

もともとは、山下公園の像を寄贈した「赤い靴を愛する市民の会(現・赤い靴記念文化事業団)」が、複数のミニチュア版を作成し、寄付してくれた人に配っていたものらしいので、他の場所にも設置されている可能性はあるかもしれません(確認はしていませんが)。

赤い靴の母子像(静岡・日本平)

次に、静岡の日本平にある赤い靴の少女像について解説します。

静岡・日本平

以前、静岡県静岡市にある久能山東照宮を訪問した時のことです。

参拝するためには、久能山の下から1,159段の表参道を上るか、日本平からロープウェイで久能山に渡るかのどちらかしかないので、楽を選び「日本平」という景勝地に立ち寄りました。

日本平からの富士山

富士山と清水港を眺めることができる展望台。

静岡の赤い靴母子像

こちらで、童謡『赤い靴』の1番の歌詞の上に建てられている、赤い靴の少女の『母子像』を見つけました。母子で別れを惜しんでいるような佇まいです。

静岡・日本平 赤い靴の説明文

当時、「赤い靴」というと横浜の専売特許のように思っていた私。

「なぜこの場所に?」という疑問を解決するように、近くには「童謡 赤い靴をはいていた女の子を尋ねて」と題された説明文がありました。

以下、現地にあった説明文の抜粋です。

野口雨情の詩になる童謡『赤い靴』をはいていた女の子にはモデルがありました。明治37(1904)年7月15日静岡県清水市宮加三(旧不二見村)に生まれた「岩崎きみ」がその子です。
「きみ」とその母「かよ」とは、故あって北海道にわたりますが、この地で母は、まだ2歳になったばかりのわが子を、アメリカ人宣教師ヒュエット夫妻に、その養育を託すさだめとなりました。
やがて宣教師夫妻には母国への帰国が命ぜられますが、このときすでに、「きみ」は不治の病におかされており、夫妻はやむなくこの幼な子を孤児院に残して旅立ちました。
「きみ」はひとり、癒えることのない病の床にあって相見ることも叶わぬ母を慕いながら、わずか9歳の短い生涯を終えたのでした。
いま、この女の子は、東京六本木にある鳥居坂教会の共同墓地に眠っております。

私たちは、この幸せ薄い母と子のかなしみに思いを寄せ、母と子をふるさとの地、不二見村を見おろすこの日本平山頂に、再び相いあわせようと考えました。

野口雨情が作詞した『赤い靴』のモデルの女の子・「岩崎きみ」の生まれた土地だから、銅像があるということですね。赤い靴の女の子にはモデルがいたと、このとき初めて知りました。

また、実在した女の子は外国には行くことができず、東京の孤児院で亡くなっていたということで、物語に静岡(生まれた場所)、北海道(母親と行った場所)、東京六本木(亡くなった場所)の地名が登場していますが、横浜の文字はありません。

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「赤い靴の女の子=岩崎きみ」には異論もある

さらに調べると、赤い靴の女の子のモデルが「岩崎きみ」であるという話は、昔の北海道テレビのドキュメンタリー番組(1978年放送)が元になっていて、異論を唱える説もあるということがわかりました。

立場の違う代表的な書籍があります。

  • 菊地寛著『赤い靴はいてた女の子』現代評論社(1979年)
  • 阿井渉介著『捏像 はいてなかった赤い靴―定説はこうして作られた』徳間書店(2007年)

菊地寛の『赤い靴はいてた女の子』という書籍が、北海道テレビのドキュメンタリー番組に沿った内容となります。ちなみに、著者は『真珠夫人』の作家・菊池寛(1888~1948)とは別人です。よく見ると苗字の漢字も違いますね。

北海道テレビのドキュメンタリー番組放送以降、赤い靴の女の子のモデルが「岩崎きみ」であるという話が一般的になったのですが、そこに一石を投じたのが、阿井渉介の『捏像 はいてなかった赤い靴―定説はこうして作られた』という書籍です。

したがって、赤い靴の女の子のモデルは「岩崎きみ」であるとされていますが、諸説あって定かではないというのが客観的な言い方になるのかなと思います。

『ドキュメント・赤い靴はいてた女の子』について

「実在の赤い靴の女の子」捜索にはきっかけがあります。

1973年11月の新聞の夕刊に、「野口雨情の『赤い靴』に出てくる女の子は、私の姉です」という投稿記事が掲載されたのです。投稿者は、岩崎きみの異父妹「岡その」でした。姉がまだ生きているなら一目会いたいと願ってのことでした。

当時、北海道テレビの記者だった菊地寛がこの記事に興味を持ち、5年にもわたる取材を経て、女の子の実在をつきとめ、1978年に『ドキュメント・赤い靴はいてた女の子』というドキュメンタリー番組を北海道テレビで制作・放送したということです。

静岡で生まれた「岩崎きみ」はいわゆる私生児でした。母親「かよ」と「きみ」は北海道に渡ります。そこで鈴木志郎と出会い、鈴木志郎は娘がいることを承知で「かよ」に求婚。その後、開拓生活の過酷さから夫婦はやむなく「きみ」をアメリカ人宣教師に託します。後に「その(きみの異父妹)」が生まれます。鈴木志郎が勤める新聞社の同僚に野口雨情がおり、「かよ」の「きみ」への思いを聞き、つづった詩が『赤い靴』の歌詞となったそう。

「かよ」は、「きみ」が宣教師の養女となって渡米したものと生涯信じきっており、真実を知ることなく64年間の人生に幕を閉じました。しかし、「きみ」は結核のため渡米することはできず、孤独のうちに東京で短い生涯を終えていたのでした。

ドキュメンタリー放送後、「岩崎きみ」の像が続々と建てられたということです。静岡・日本平の『母子像』にある説明文の内容も、このドキュメンタリーに沿った話であることがわかります。

全国にある!赤い靴の少女像

  • 横浜・山下公園『赤い靴はいてた女の子の像』(1979年)※童謡『赤い靴』から
  • 静岡県・日本平『母子像』(1986年)※きみの出身地

については先に紹介した通りですが、その他の赤い靴の少女像は以下の通り。

  • 東京・麻布十番『きみちゃん像』(1989年)※きみが亡くなった孤児院に因む
  • 北海道・留寿都『母思像』(1991年) ※開拓農場に因む、近くに『かよ像』も有
  • 北海道・小樽『赤い靴 親子の像』(2007年)※かよと夫の居住地に因む
  • 北海道・函館『赤い靴の少女像』(2009年)※かよときみが降りたった北の玄関口
  • 青森県・鯵ヶ沢町『赤い靴 親子三人像』(2010年)※義父 鈴木志郎の生まれ故郷

建立が古い順に並べてみましたが、北海道が多いですね。また、2000年代に作られた比較的新しい像もありました。

再考『赤い靴はいてた女の子像』(山下公園)

山下公園の赤い靴はいてた女の子

ここで今一度、山下公園にある『赤い靴はいてた女の子像』について振り返ってみますと、1979年に日本で一番最初に作られた赤い靴の少女像であること、他の赤い靴の少女像がモデルの岩崎きみ物語をベースに作られているのに対し、横浜の赤い靴の少女像だけは純粋に童謡『赤い靴』の野口雨情の詩をモチーフとして作られていることがわかります。

ただ、山下公園の『赤い靴はいてた女の子像』を見て何をイメージするかは見る人の自由です。

モデルとされる女の子の人生に思いを馳せるのもありでしょう。また、童謡『赤い靴』に沿ってポジティブに解釈するならば、女の子は船舶に乗って外国に渡り、日本にいる近親者は悲しく心配しているけれど、女の子ほうは青い目になってしまうくらい外国に馴染んで元気に暮らしていると考えることもできそうですね。

2010年には、セーラー服姿の赤い靴の少女の立像が、横浜市と姉妹都市のアメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ市にも建立されています。ここには、赤い靴の女の子は無事アメリカに到着できたのだという思いが込められているのかもしれません。

山下公園の水の守護神

ちなみに、山下公園にある噴水の中央に建つ「水の守護神」という像があります。こちらも姉妹都市の関係の像で、サンディエゴ市から寄贈されたものであり、サンディエゴ現地にも同じ像があります。

最後に

「山下公園・赤い靴はいてた少女像、横浜だけでなく静岡など各地にある意外な理由」というタイトルで記事を書いてみたのですが、答えとしては「実在のモデルとされる少女がいたから」ということになります。山下公園にある『赤い靴はいてた女の子像』については、モデルの有無に関与しない存在であることも補足しました。

ところで、「赤い靴」というと、アンデルセンの童話もありますよね。切断された足だけ踊り続けるという怖い話。童謡『赤い靴』とは別物なんですが、自分の中で、童謡の短調響きとアンデルセンの童話がごっちゃになって怖いイメージだったりしました。

色々調べてみて、赤い靴のイメージは…。強いて言うなら「国際交流」でしょうか?横浜では赤レンガ倉庫などでお土産品なども販売されているので、今度じっくり見てみようと思います。

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